マスクタウン5

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  翌朝、リビングに入っていくと、両親はすでに起きていた。
 
 ぼくはソファーに座りながら、父と母の様子をそれとなくうかがった(父と母の仲が険悪になって以来、毎日のように両親のご機嫌をうかがうことが習慣になっていた)。

 いつもどおり二人の間に会話はなく、父がスマホ片手に朝食を取るその傍らで、母はテラスと洗面所を行き来しながら洗濯をしていた。

 両親の仲が悪くなったのは、もちろん父の不倫が原因だった。父と同様、母も相当に頑固な人で、その性格を知りながら父が不倫をしたのだから、当然と言えば当然だったけれど、その後、母とぼくの前で父の放った言葉が、夫婦としての二人の関係に完全に終止符を打った観があった。

「俺は性格的に一つの環境に縛られつづけることが耐えられないんだ。結果的にお前たちに迷惑をかけてしまう。だから、自分の精神状態を良好に保つためにも、どこかで発散することが必要なんだ」

 この開き直りには、母だけではなく、さすがのぼくもあきれてものが言えなかった。

 けれど、母は、身辺が騒がしくなるのを嫌がり、夫婦仲が冷め切った今でも、ぼくが大学を卒業するまでは父と離婚をするつもりはないようだった(父と離婚をすれば、父がそのことをSNSで発信することが母にはわかっていたからだ)。でも、仮面夫婦と化した両親と一緒に暮らすのは、正直、ぼくには苦痛だった。いっそのこと離婚してもらえないかな、と思う日がないでもない。

 ぼくはソファーから腰を上げ、洗面所に入っていった。脱衣所で服を脱ぎ、風呂に入った(ぼくはいつも朝に風呂に入るのだ)。蛇口をひねり、頭の上から熱いシャワーを浴びる。

 風呂から出てくると、父はすでに仕事に出掛けた後だった。リビングのテーブルには朝食が並んでいる。昨夜と同じく、目玉焼き、パン、コーヒーと、何ともシンプルなメニューだったけれど、ぼくはテーブルにつき、母が支度をするその隣で朝食を食べた。

「今日は何時くらいに帰ってくるの?」

「わからないけど、たぶん六時か七時くらいには」母は少し面倒くさそうに答えた。やはり、父の代わりに祖父の介護をすることが不満なのだろう。

「ヘルパーの人は、まだ来てもらえないの?」

「まあ、仕方ないわね。人手が足りないのはうちだけじゃないもの」母はそう言って、支度を終えると、バッグを手に立ちあがった。「遅くなるときは連絡するから。あんたもちゃんと勉強しなさいよ」

 ぼくはうなずいた。

「じゃあ、行ってくるわね」母はせわしない足取りで出かけていった。

 一人になると、ぼくは朝食を食べながら、昨夜の父のSNSをチェックした(父のSNSをチェックするのは、いつも母が出かけた後の朝のこの時間帯か、放課後、母がまだ家に帰ってきていないときだった)。あいかわらず、「定期的オキシトシン」と「感情拡張論」のことばかりだった。二つとも、父がかつて提唱した概念だった。

「定期的オキシトシン」とは、「人の体内で分泌されるオキシトシンが一定期間内に定量を超えず、その不足状態が長い間つづくようであれば、精神的に不健康をもたらしてしまう」というものだった。父が不倫をした理由の一つが、この「定期的オキシトシン」だった。まさに、父自身が言っていたとおり、「自分の精神状態を良好に保つためにも、どこかで発散することが必要」なのであり、そのために父は不倫をすることでオキシトシンの分泌を図ったのだった(かといって、不倫を正当化する理由にはもちろんならないが……)。

「感情拡張論」とは、二〇二〇年代の後半あたりから急激に話題になり始めたものだった。人間の意思をつかさどる大脳の機能を拡張させることができれば、人間は自分の意思を自在にコントロールすることができるようになるというものだった。具体的には、デバイスや服薬によって「感情の拡張」を図ることで、個人のメンタル強度を高めたり、物事への関心・向上心などを高めることなどが期待された。

 国内のインフルエンサーの中では、父もこの「感情拡張論」の代表的な支持者の一人であり、「もし日本人が感情を自在に操ることができるようになれば、間違いなく世界最強の民族になれる」ということだった。そのため父は現在、血液検査や尿検査をせずとも、ホルモンの分泌量を測定できるデバイスや、人間の意思を自在に操ることのできる薬品やデバイスの開発に、様々な企業や研究機関と協力して取り組んでいた。

 父のSNSでのそんな主張を見ながら、やっぱり人間は、「人としての強度」や「社会の競争」というものから逃れられない生き物なのだとぼくは思った。個人一人ひとりの個性を認め、その在り方すべてを肯定する一方で(もちろん、その肯定は表向きだ)、社会で勝ち残る者を「正解」にしてしまう生き物なのだ、と。そして、物事が抱えるそうした矛盾を理解していながら、その矛盾を平然と実行できてしまうこともまた、人間としての特性なのだろうとぼくは思った。

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