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家に戻ってきたのは、夜の七時過ぎだった。
家の中に入ると、しんと静まり返っていた。両親はまだ帰ってきていないらしい。父はおそらくまだ仕事中で、母は父の実家に行っているのだろう。
ぼくはリビングに入っていった。キッチンでカフェオレを入れ、コーヒーカップを手に自分の部屋に入っていく。
机の前に座り、パソコンのスイッチを入れる(携帯でも、もちろんゲームはできるけれど、家ではいつも画面が大きいパソコンを使っていた)。
〈どのアプリを起動されますか?〉
AIの自動音声ガイダンスに尋ねられて、「トーキング4」とぼくは言った。
〈かしこまりました、「トーキング4」を起動いたします〉
AIによってアプリが選択され、ゲームが起動される。つづけてタイトル画面がモニターに現れる。
ぼくはⅤRゴーグルを装着し、ゲームの形式には「画面式対話」を選んだ。これまでぼくが「画面式対話」で話をしたことのある人々がモニターに映し出される(一つのゲームで、様々な形式のゲームを楽しむことが出来るのだ)。その人物の中から対話する相手を選ぶ。今日の話し相手には夏目漱石を選んだ。歴史が好きなぼくは、話をする相手は大抵、歴史上の偉人ばかりだった。AIの情報分析にもとづいてネット上で生み出された歴史上の偉人と、モニターを通して話をすることが出来るのだ(もちろん、自分で話し相手を一から創り上げることもできる)。ⅤRゴーグルを装着していれば、それこそゲーム内で偉人と本当に対面しているかのような感覚で話をすることができる。もちろんゲーム内の人物はAIによって情報が随時アップデートされているため、何度話をしても飽きることがなかった。
この「トーキング4」というゲームは、もともとゲーム内に作り出された人物と端末(PⅭ・スマホ・タブレットなど)のモニターを通して話をすることで、高齢者の認知症の予防や、孤独をまぎらわせるために発売されたものだった。しかし、このゲームの使用中にユーザーの体内でオキシトシンやセロトニンなどのホルモンが分泌されることが判り、心の健康に非常にいいということで若者の間でも相当にバズリ、どんどん新しいバージョンが発売され、今では『ヴァージョン4』まで出ていた。『ヴァージョン4』では、ゲーム内で作り出されたデジタルヒューマンの配偶者や恋人、子どもと、旅行や子育て、デートなどをすることが世代を問わずに流行っていた。十八歳以上のユーザーでは、課金さえすればセックスだってできるのだ。
こうしたネット上で無限に生み出されるバーチャル世界やデジタルヒューマンが社会に与える影響に対して、現代の評論家の中には「今後、この日本からだけではなく、世界中から人間同士の関りはいっそう希薄になっていき、観念の追求だけが生きるうえでの主要な目的になっていき、恋愛という概念にいたってはほとんどなくなっていくのではないかと思われる」と言う人までいた。何せ、ユーザーが基本の設定さえすれば、あとはAIが自動的にゲーム内の登場人物はおろか、プロットや世界観まで構築してくれるのだ。そんなふうに未来を悲観してしまう人が出てきてもおかしくはなかった。
設定の仕方は、例えばこんなふうだった。
主人公→高校生の自分(自分の画像をゲーム内でデジタルヒューマンに加工して使用する)
ヒロイン→ロングヘアーのH・Tアイドル似の女の子。気が強い性格だが、本当はとても純粋で優しく、女性らしい一面を持っている。
場所→学園。自分が高校生として通う高校に、ヒロインの女の子が転校して来る。二人は最初、反発し合うが、やがてひかれ合い、最後にはむすばれる。
こんなふうにユーザーが、ゲームの基本設定さえAIに認識させれば、あとはAIが無限のネット情報の中から、そのゲームにおける登場人物やプロット、世界観までを構築・提示してくれるので、ユーザーとしてはそれらの設定の中から、自分の好きなものを選ぶだけでよかった。もちろん、ジャンルは問わない。青春学園もの、異世界もの、ホラー、シューティング、エロ、RPGとなんでもアリだった。となれば、ストレスでつらいばかりの人間社会にいるよりは、誰だってゲームの世界にひたっていた方がいいに決まっている。オタク気質の日本人なら、なおさらだろう。
実際、二〇三〇年代に入ってからネットコンテンツにおける各国ごとのブランディングが急速に進んでいったが、「メタバース」というコンテンツの普及率ならば、日本がダントツにトップで、二〇四五年の今では世界に冠たる「メタバース国家」になっていた。
AIのこうしたⅤR空間自動生成プログラムがオープンソースとして世の中に出回るようになってから、インターネット上に無限のバーチャル世界が現れるようになったと言われている。誰もが自分の理想をバーチャル世界で好きなだけ追求・体験できるようになったのだった。ある右寄りのインフルエンサーなどは、こういう状況を嘆いて、「AIは、神という観念の存在を具現化して一般市民に対して無料で提供し、神の民主化をしてしまった。世界中の誰もがAIの創り上げた世界の中で、神のように振舞うことができるようになったのである」と皮肉っていた。
さっき、『喫茶店 やまちゃん』の駐車場で街宣車の連中が声高に非難していたのは、AIがネット上に創り上げるこのVR空間とデジタルヒューマンのことだった。確かに、ネット上にこの二つが出回るようになってから、日本の少子化はいっそうに加速した。彼らとしては、そうした現状が、今後もこの日本社会にいっそうの悪影響を与えていくだろうことを憂えているのだ。
実際、ユーザーの中には、「ゲームの中でいくらでも好き勝手できるのに、なんで現実の世界でわざわざ苦労して他人と関わったり、子育てしなきゃなんないの?」と現実の世界において他者との係わりを完全に放棄してしまっている者も少なくなかった。それだけならまだマシな方で、彼らの中には、「現実世界」と「バーチャル世界」のギャップから、同じ職場の人間を逆恨みし、殺してしまったというような悲惨な事件も多数起こっていた。それらの事件以外にも、放火、ネット上での誹謗中傷、レイプと、ユーザーが実際に犯罪に及んでしまった例は挙げていけばきりがなかった。
学者や評論家、そしてVR否定派の人々は、こうした状況はこれからもいっそう深刻になっていくだろうと、日々SNSや他のメディアで警鐘を鳴らしていた。
でも、そんな犯罪行為に走る特殊なユーザーはほんのごく一部だと、ぼく自身としては思っていた。街宣車の連中の言葉も、時代性を直視できない人たちの言い分でしかないと思っている。既存の制度にどんなに腹を立てたところで、世の中の大半の人がAIの創り出す今のバーチャル世界を受け容れてしまっている以上、時代を後戻りさせることなどできるわけがないのだ。だとすれば、時代に適応する手段とは、時代の流れに合わせて自分の考えや価値観を変えていくしかない。
ただ、ぼく自身はさすがにゲームの中で恋人をつくることは恥ずかしかったので、かねてより自分が尊敬していた歴史上の偉人と話をするようになったのだった。
ぼくはカフェオレを一口飲んでから漱石と話し始めた(VRゴーグルをしているので、本当に漱石が目の前に座っているような感じだった)。
「前回、話したこと覚えてます?」
「日本の社会の行く末のことについてでしたね」
ぼくはうなずいた(過去のゲーム内での会話の内容は、履歴として自動的にすべてキャラクターの中に保存されているのだ)。
「まあ、わたし自身の意見を言わせてもらえれば、また前回と同じことにはなりますが、やはり日本人という民族は、何百年経とうともその本質は変わらないということなのでしょう」
「言ってましたよね? 自分の小説の中で、日本が滅びることを予言していたと」
「ええ、『三四郎』という小説です」漱石はうなずいた。
「どうしてそんなふうに思ったんでしたっけ?」漱石が小説の中でどうしてそんな予言をしたのか、その理由を知っていながらぼくはあえて聞いてみた。
「それは、明治維新という変革が、西欧のように思想的な成熟の上に成し遂げられた革命ではなく、西欧列強からの脅威によって起こった変革に過ぎなかったからです。おまけにその後、日本は富国強兵によって技術力だけを磨いて日清・日露戦争に勝利してしまい、その思い上がりから、いつか必ず国家として足元をすくわれるときが来るだろうと思ったからです。事実その後、第二次世界大戦でこの国は一度、滅んでしまっています(漱石の中には、令和時代までの日本の歴史のデータがすべてインプットされているのだ)」
ぼくはうなずいた。「でも、思想的な成熟って、具体的にはどういうことなんですか?」
「簡潔に申し上げるならば、正確な時代認識に基づく、社会全体における必要性の把握と、その必要性を満たすための着実な政策の実行といったところでしょうか」
「それは、思想的な成熟から来るものなんですか?」
「海外での例で言えば、少なくともそうだと思います」漱石はうなずいた。「しかし、日本には普遍的な思想がないため、社会全体の成熟がなかなか難しいのです」
「それじゃあ日本人には、正確な時代認識も、その認識に基づく着実な政策の実行もできないんですか?」
「ある意味では、時代認識はできていると思います。しかし、国民の間で合意形成ができないため、認識ができていても、それに基づいて政策を実行することが往々にして難しい国民性なのです。政策を着実に実行するためには、国民の一定層に確実に痛みを伴いますし、その相手に対して忌憚なき意見を述べなければなりません。例えば、『これから国民の方々には、高齢者の生活を支えるために重い税を担っていただかなければなりません』といったようなことです。忖度を基本の文化とする日本人にはそれができないのです」
「だとしたら、日本は今後も第二次大戦のときと同じような失敗をくり返し、国家を滅亡へと導いてしまうようなことがあるんじゃないでしょうか?」
「そうなる可能性は大いにあるでしょうね」漱石はうなずいた。「事実、令和の日本は、少子高齢化と半世紀にも及ぶ不景気で、亡国の危機に瀕していますから」
ぼくはうなずいた。そこで一度ゲームを中断し、織田信長、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、高杉晋作を会話に加えてみた(戦国時代と幕末が好きなのだ)。時代を問わず、AIによってゲーム内で創り出された人物を、いつでも会話に加えることができるのだ。
「漱石さんは、日本の行く末をそんなふうに言われていますが、みなさんはどう思われますか?」
ぼくから尋ねると、動乱の時代の偉人たちが、AIによってインプットされた各々の性格・データに基づいて、思い思いの言葉を述べていく。
織田信長「当たりまえだろう、働きもしない年寄りばかりに国の金を使っていては、国が傾かない方がおかしい。役立たずの連中に金を払う必要などない、そもそも最初から生きる価値などないのだからな。さっさと見殺しにしろ」
西郷隆盛「おいどんは、左様な福祉のことよりも、VRなどという得体の知れないものに、日の本の民が夢中になっていることの方がわかりもはん……。もはや、おいどんの理解を超えた俗世にごわす……。世も末とはよく言ったものでごわすが、御仏のお力も我々人間の私利私欲の前にはついに及ばんということでごわすか……。もはやおいどんの出る幕などありもはん……。ただこの欲にまみれた令和という世に絶望しながら、静かに我が腹を切るのみでごわす」
大久保利通「吉之助どん(西郷隆盛の通称)、そげんこつ言うてもらっては困る。おいどんがこの腐り切った国を十年で建て直して見せるゆえ」
坂本龍馬「面白い世の中になったもんじゃ、VRとAIか……(感嘆したように目を見開く)。かような時代に生まれてこられた令和の日の本の民たちは幸せもんじゃ。わしもぜひ、かような時代に生まれてきたかった……」
高杉晋作「同感ですな、坂本さん。『おもしろき こともなき世を おもしろく』生きられる時代がついに到来したということですな、いや愉快愉快(高笑いする)」
ぼくはそれぞれの意見を聞いてから、また漱石に水を向けた。「とみなさん言っておられますが、漱石さんはどう思いますか?」
「わたしは、武士の方たちのような前向きな見解は持てません。やはり西郷さんのように(西郷自身もれっきとした武士だが)この汚れた俗世に対して絶望している方が性に合っているようです」
ぼくはうなずいた。そして漱石と西郷の絶望に対して共感を覚えた。
ぼくはその後、織田信長、大久保利通、坂本龍馬、高杉晋作の四人を会話から外した。そして、夏目漱石、西郷隆盛の三人だけで、今とこれからの日本について心ゆくまで話をした。
一時間ほど経ったところでゲームを止めた。マスクタウンのことを改めて調べてみようか、と思ったところで、母親が帰ってきた。
ぼくはパソコンの電源を一度落として部屋を出て、リビングに入っていった。
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