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朝食の後、ぼくは心太の餌を準備してから自分の部屋に戻った。部屋でリュックに荷物をつめると、ワックスで髪を整え、メイクも済ませ、朝の八時、心太に見送られながら家を出た。
マンションの駐輪場で自転車に乗り、学校に向かう。ぼくの通うインターナショナルスクールは、家から自転車で二十分くらいのところにあった。
学校につくと、駐輪場に自転車を停め、校舎に入っていった。廊下を歩いていると、英語での会話があちこちから聞こえてくる。台湾・中国・韓国と様々な国の生徒の顔を見ながら、ぼくはいつもながらの違和感を覚えた(アジアの国の生徒が多いけど、白人や黒人も少なくはない)。日々、ぼくがメタバースの中で出会うデジタルヒューマンに比べて、生徒一人ひとりの顔のつくりが違い過ぎるからだった。デジタルヒューマンの男女は美男美女ばかりで、顔のつくりに違いがないのだけれど(よーく見てみるとビミョーに違うのだけれど、データを基につくられた顔だけに、どれもこれも似ていて見分けがつかないのだ)、廊下でおしゃべりをする生徒たちの顔は、逆に違い過ぎるのだった。そして、ぼくがこんな違和感を覚えるのも、スーパーで売られている野菜のように、人の容貌に対する「規格化」が自分の中で知らず知らずのうちに行われているのだろうと思った。これだけ世界中で「民主主義」や一人ひとりの「個性」が声高に叫ばれていながら、インターネットの中では人間という存在を「画一化」し、その収斂されたイメージが人々の物事に対する認識を変え始めている――これほどの矛盾はない、とぼくは思った。
校舎の三階に上がると、廊下に並ぶロッカーから教科書を取り出し、自分の教室に入っていった。
席につくなり、幼馴染みの千早カスミが「隼人ー」と小走りにやって来た。
「何?」ぼくは教科書を机の上に置きながらカスミに尋ねた。
「ルイに聞いた。夏休み、北海道に行くんだろ?」女の子だけれど、その口調はぼくよりも男らしかった。
「うん……」ぼくはうなずいた。一体どこで聞きつけたんだ。あいかわらず、ジャーナリスト並みの早耳だと思った。
「よし、ボクも行く」
「は?」ぼくは目をしばたたいた。「何、言ってんの? 何、そのいかにも既定の事実かのような言い方は」
「だ・か・ら、ボクも行くって言ったんだよ、北海道旅行に」
千早カスミは、小さい頃から自分のことを「ボク」と呼んでいた。見た目もかなりの短髪のためか、白人系オランダ人の父親とそっくりだった。ぼくがこのインターナショナルスクールに入ったのも、このカスミがいたからだった。彼女の父親と、ぼくの父が昔からの知り合いだったのだ。カスミはこの天真爛漫なキャラが人気を博し、学校内では男女を問わず友達が多かった。
「え~」とぼくは顔をゆがめた。
「いいだろ? 行っても」
「三人の方が気楽なんだけど……」ぼくは本心を言った。恋愛感情を一ミリも抱いてもいない幼馴染みというのは、親戚と友人の間のようななんともビミョーな存在で、一言で言うなら面倒くさい奴だった。
「ルイは来てもいいって」
「うん、言った言った。来てもいいぞって」教室の入口の方から声がして、ルイが教室に入ってきた。「ハァーイ」ルイがぼくら二人に向かって手を上げる。
「ハァーイ」
カスミが挨拶を返すと、ルイはぼくの隣の席に座った。
「ハーイ」とぼくもルイに言った。
「いいじゃん、隼人。カスミも連れていこうよ」ルイが目を笑わせながら言う。
「でも、カスミを連れていくんなら、朋美(ハンスの元彼女)や、のり子(ルイの現在の彼女)も連れていかないと」
「あ、大丈夫。朋美はパスって言ってたし、のり子とは二人だけで改めて行くつもりだから」
「な?」とカスミが、してやったりの笑みでぼくに言う。ルイの気持ちを知ったうえでの確信犯だった。
ルイは、カスミのことを気に入っていた。もちろん、異性として意識しているわけではなく、多くの思想家を輩出したフランス出身であるためか、「女性」というハンデをものともせず(日本では今でもうわべだけの男女平等がはびこっているのだ)、日々、自分の生き方をつらぬいているカスミの生き方に惹かれるということだった。他人と違う自分でいることが、フランスではとても評価されるらしかった。
「でも、朋美ものり子も行かないのなら、男だけで行こうよ」
「あ、大丈夫、大丈夫。ボクのことは男扱いでいいから」
カスミが冗談めかした口調で言うと、ルイが笑った。ルイがカスミを気に入っているのはこういうところだった。自分の個性を自然と笑いに変えることができるのだ。
「ハァーイ」教室の扉が開き、ハンスが教室に入ってきた。ぼくら三人の方にやって来て会話に加わる。
「何の話だ?」ハンスがルイに尋ねる。
「旅行の話だよ。昨日、帰ってからカスミに電話したんで、そのときに話したんだよ」
ハンスはカスミを見た。
「ねえ、ハンス、ボクも行っていいだろ? 北海道旅行」
「おう、いいぞ。一緒に行こうぜ」ハンスは笑顔でうなずいた。ルイと同様、ハンスも、カスミのことを気に入っていた。女性であるカスミが、男性のような短髪にしたり、いつもノーメイクでいることが、「他人は他人、自分は自分」というドイツ人の考え方とこのうえなく合致するらしく、カスミに対しては基本、寛大だった。
カスミはにんまりとしてぼくの顔を覗き込む。「どうだ? 隼人、旅行の主賓もこう言ってるんだぞ?」
「……わかったよ」ぼくは観念してうなずいた。「それにしても、大した早業だね。旅行の行き先が決まったのは昨日なのに」
「あっぱれだろ?」
「ほんとに」ぼくはうなずいた。「まったく遠慮のないそういうところが特に」
「言っとくけど、最初にボクに旅行のことをしゃべったのはルイだからな」
ルイがその言葉に笑う「まあ、イイじゃん、隼人。みんなで行った方が楽しいって」
「来ればイイじゃん」ぼくは投げやりに言った。悪びれないルイのこういう大らかさが、今は何とも腹立たしかった。
「ィよしっ、決まった」カスミはガッツポーズをして見せた。
何事につけてもやることが芝居めいている奴だとぼくは思った。その代わり、これから始まるテストのノートをぼくら三人に貸すという条件をぼくからカスミに提示すると、
「ああ、オーケー、オーケー? それくらいノープロブレムよ」
結局、そういうことで話はまとまり、旅行のメンバーにはカスミも加わることになった。
その後、北海道帯広市のマスクタウンの住人で、世界的インフルエンサーでもある精神科医の斎藤タカシのことを、昼休みにパソコンで調べてみようということになった。
話が決まったところで、担任が教室に入ってきた。「グッモーニン、エブリバディ、プリーズ テイク ユア シーツ」
カスミとハンスは自分の席に戻っていった。
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